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AIMEZ-VOUS BRAHMS・・・
F.サガンの4作目
「悲しみよ・こんにちは」で鮮烈なデビューを飾った後、
「ある微笑」「1年の後」ときて、この4作目では
細かな描写が群を抜いている。

久しぶりに読み返してみると、
せつないまでの中年の心の奥にある揺らぎ、
孤独、迷い、喜びと哀しみ・・・が
見事に溢れていて、心に突き刺さってくる。
若かった頃には感じられなかったもの。
年輪を重ね、それが自動的に成熟にならないにしても
経験の積み重ねで初めてわかる感覚。

「ブラームスはお好き」で語られるテーマの中には
現在の、たった今の、満足、心の平穏、喜び、孤独の均衡点と
歳を重ねた先々にある落ち着き、満足、心の平和の期待値の
その比較の間を悩む中年の男女の姿がある。

今、このままの人生でいい?
先々を思うとこの人生どうなるのだろう?
何を積み重ね、何を選ぶのか?
なにが自分の心を支えていくのだろう?
本当に大切にしたいものは何だろう?
刹那を追いかける、追いかけたい人生?
自分のために何を守るのだろう?
愛する人を守る?

漠然と、しかしピンポイントで心の襞に引っかかる
この小説に触発されている現在の自分がいる。

大好きで切なく幸せな東京の秋がそこまで来ている。
J'aime le septenbre.

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-21 13:20

メトロの終点あたり
まさに玉石混淆とはこの街
クリニャンクールといえばアンティーク街

蝶、蜻蛉、石竜子のアールヌーボーに
乳白色、直線のアールデコ

レプリか本物か、
真贋は見立てる側の目線次第。

先ずは美術館、博物館でじっくり観察
触れられないのが残念
よく見てよく観てよく看ると
息づかい、光の透し方、発するオーラの
違いが見えてくる、感じられるときもある

ともかく本物をよく観ることでよく診られる
作品の持つ波動は人が作り出している
結局は人、人物=作品

歴史の中で何を見いだすか
解釈論はあまたあっても
真実はひとつであり、無数にある
芸術的作品に昇華されるか否か
大きな差であり僅差でもある

小さな差異がある
それを生むプロセスの違いが
異なる文化になり価値になる
松岡正剛氏のいう和文化の原点

ガラクタも宝に変える、
愛すべきクリニャンクールは
果てしない挑戦状を繰り出す

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-13 00:23

どうしてもこの碧しかないという青で
クリアにペイントされた地中海
沖まで見晴らしたい気持ちからか
迫りくる白い断崖絶壁のニース

イタリアへと向かう夜行列車は
いつものように全く時刻表など意にも介さず
そっと駅舎に滑り込み微笑んだ。

マルセイユから右ほほや背中を夕日に照らされ
少し紅潮しながらも潮風をいっぱい吸い込んで
バカンス気分を少し重量オーバーしながら
誇らしげに運び込んできた。

波止場から駅へと続く歩道沿い
軒並ぶrestaurants
通り過ぎる?
たいていの人には無理な注文
列車の時間は迫っても
Vin blanc et vin rouge
このおめでたい紅白姉妹は
欠かせない。

あくまでも楽しむ人が優先の港町
1’hr遅れ?
息をあわせてくれるはず

酔いが醒め夜風に当たりたくなる頃
国境の町ベンティミグラ
Au revoirからChaoとなった
そして夏の夜は更けていく

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-11 17:02 | 旅行

バルザックが大好きだった街。パシー。

カーブするセーヌにほど近く、対岸にはエッフェル。
ゆったりと瀟洒な別時間が流れる。
サン・ジェルマン・デ・プレのあたりとともに
お気に入りの散歩どころ。

パリで遅めのランチ。いや、
普通にMenu(日本語では定食?)を取っても
気がつくと否応なしに必ず3時近くなる。

それでも2回目のデザートを食べるかどうか
つい迷うのはParisだけだ。
シフォンかCrème de caramelか
珈琲か紅茶か
それが問題だ。
シェークスピアでも悩むであろうこの選択肢。
(悩まずTEAでしょうね)
いずれにしても迷いは断ち切れず
全部くださいと安易に手を打つ。

パリは7月の終わりにさしかかると曇りがち。
比較的短い夏は、あっけなく大西洋上空から
流れくる雲に遮られ、光より影が増し
元来のくすみがちな街に戻っていく。

何度訪ねてもPassyは秋が一番。
街全体が美術館になる前夜も侮れない。
アール・ヌーボー調の琥珀色のポスターが
少しひんやりした風に調和しだす今頃。
ブティックはSOLDEの名残と秋冬mode。
小気味よく中間色を効かせた色遣い。
最上級のからし色に感嘆。

遅めの夕食迄はまだまだたっぷり。
迷いを捨てた
Passyの午後三時

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-10 02:25

二十歳で文壇にデビューを飾ったジャン・コクトー。
あの堀口大學訳の詩集から。

-耳-
私の耳は貝の殻
海の響きを懐かしむ
-カンヌ第5-


夏の海は実に気分を高揚させてくれる。
ありがたいお約束。
繰り返す波の音、太陽の甘い香り、
どこまでも拡がる空と美味しそうな雲
サングラス越しに幾多の星が煌めく波間、
水着姿の女たち、冷えた飲み物、
なにもかも眩しい。

賑わっていた海辺の町もいつしか土用の波を過ぎ
ひとけまばらになる頃も堪らない。
閑散な海辺こそ、
人も見世も最盛の、何もかも入り交じった
開放的記憶を柔らかな懐かしさに代えてくれる。
そしていつしか落ち着きを取り戻す。
優しい。

目をつぶると耳が研ぎ澄まされてくる。
貝殻は聴いてきた音を忘れない。

今年も大好きな夏が過ぎていく。
海が思い出を優しい色に塗り直していく。



蛇足ながら、もうひとつ
・・・港が海を堰きとめる帆柱の串で・・・レア
 by コクトー

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-07 23:32

「・・・愛する人、愛する事物について語ることは、自分自身を物語ること・・・」

フランソワーズ・サガンは、「私自身のための優しい回想」(新潮社)で語っている。
「真に価値ある出会いと体験を綴る・・・」と評される珠玉のエッセーだけのことはある。
ショパン、シューベルトの即興曲のような、時間や空間を凝縮した言葉の旋律は妙境だ。

自分自身は何者か、気になる人に表現するのは、常々困難を極める。

先頃も、ついつい自身の本質とはかけ離れたアクセサリーや肩書きから
人の心に偶像構築を始めている情けない自分がいることに気づく。
満足に自分を物語れない自分がそこにいた。

表面的で些細な優劣を気にかけたり、余計なこだわりを伝えるよりも、
自分が愛する人や愛する事物を率直に語ること。
ここから始めれば、自分が真っ直ぐに伝わるようになるのかもしれない。
自然でも、文学でも、音楽でも、愛する心を伝えることが物語になるはずだ。

芸術は愛でるもの。愛する心を伝え、感じあうもの。
ヒューマン・コミュニケーションだ。

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-04 17:53

モーリヤックが「小さなかわいい怪物」と評した、あのフランソワーズ・サガン。
衝撃的に、そして一瞬で虜になったのは中学生のちょうど今時分。

あっという間に翻訳作品を貪るように惜しげもなくすべて読み切り、
舌でじっくりと味わうようにお気に入りの表現を嘗めた。
あの充足感は確実に魂に突き刺さった。
その完璧であまりに美しい筆致は、再現されることを拒むように、
一度きりの、最初で最後の潔い刹那を切り出した。
心と自然の光と影、人と自然の織りなす色彩、
喧噪と気怠さと優しさの混じった音と香り。
描写文学。
「悲しみよ こんにちは」
不完全だからこそ、完全な美と善が間違いなく存在していた。

いつの間にか夏至を過ぎ、
加速する暑さに灼熱の太陽を軽く疎んじつつ、
真夏の継続を当然とする幻想を抱く傍ら、
地球の公転は徒に、でも絶対的に
日照を減らしている今時分。

暮れなずむ夕日が刻む針が夏の終わりを微かに告げていることに
無意識に気づいている。
この頃がとても寂しい。
まさに「愛と同じくらい孤独」を感じる季節。

「真実や人生は、どんなに小さな幻想よりも複雑で曖昧で有益なもの」
という秀逸なフレーズを読み返し、インタビュー集でサガンを偲ぶ。

愛に光が当たるとその影は孤独なのかもしれない。
一昨日は静かで寂しい雨。
孤独は募るが愛の恵み雨と感じたい。

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-04 05:09

すべてに時があり。

先般、心からすべてに感謝する出会いがありました。

単なる偶然の訳もなく、きっと必然的なもの。

これからの自分の人生にとっての意味合いを

今じっくりと六根で感じ入ろうとしています。

眼、耳、鼻、舌、身、意。

その感覚と体と心を清浄できるか。

反語ですね。きっと。

# by kokoroniutsuriyuk | 2009-08-02 22:00

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